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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)1281号 判決

原告 掛札秀夫

被告 国

代理人 平山勝信

主文

一、被告は原告に対し金一四六、九五四円およびこれに対する昭和四一年三月三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを四分し、その一を被告のその余を原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、当事者間に争いなき事実と(証拠省略)とによれば、次の事実が認められる。すなわち別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という)は、明治三六年頃原告の先代掛札純一が特定郵便局舎として建築所有し、大正一四年同人の死亡により原告の所有となつたものであること。右建築以後昭和二二年頃までは、三等郵便局長服務規約(昭和一六年以降は特定郵便局長服務規約と改称された)による局長の義務として、局長であつた先代純一および原告が被告国に対して局舎の用に供してきたものであるが、その実質は賃貸借の関係にあつたこと。昭和二三年右服務規約が改正され、当時の局長であつた訴外掛札義夫が原告から賃借して、本件建物を被告に転貸していたが、昭和三二年七月一日からは原告と被告との直接の賃貸借となつたこと。昭和三七年五月一四日の契約更新に際し、従来の契約条項が改訂された結果、その約定中に「(一)被告は契約が終了した場合においては、原告の請求により、賃借物件を賃借権が設定された時の用途に供するために支障がある部分を原状に復し、または当該部分を原状に復するために必要な費用を補償する。当該物件を原状に復するための工事の内容および工事を完了すべき時期または当該物件を原状に復するために必要な費用として補償すべき金額およびその支払時期については、双方協議して定める(以下単に本件原状回復条項という)、(二)被告が契約の更新を拒み、または解約権留保条項により、賃借物件の全部または一部を解約した場合において、当該物件を他に転用するみちがないと認められるときは、その補償を請求することができる(以下単に本件空家補償条項という)」との条項がおかれたこと。右契約は以後一年毎に更新されてきたが、被告が昭和三九年一〇月二八日原告に対し、郵便局舎の新築移転を理由に昭和四〇年三月二九日限り解約する旨意思表示をしたので、同日終了したこと。以上の事実が認められる。

二、本件原状回復条項の解釈について。

原告は本件原状回復条項に基づき同人が以前に企図した洋品店舗に改造すべきものと主張し、被告は本件建物が当初から局舎として建築されたことを根拠に原状回復はありえないと主張して争うので、以下に検討を加える。

(証拠省略)によれば、前記契約改訂前の賃貸借契約書では、契約終了時の被告の義務として、単に「原状に回復して返還する」とだけ定められてあり、その趣旨は借受後に施した設備の原状回復義務のみを規定したものと解せられる。ところが(証拠省略)によると、前記の改訂により被告の義務の内容が拡大された結果本件原状回復条項の適用範囲の中に、貸主が賃貸にあたり一般民家を局舎向きに改築した場合を含ましめるに至つたことが認められる。そこでこのような改訂が行われた原因を考えてみると、郵便局舎の賃貸借では、郵便義務の都合上比較的収去の容易な設備だけでなく、建物本体についてまでも一般民家と異なる特殊な構造が必要とされ、それが契約終了後の使用収益を困難ならしめるにかかわらず、賃貸借途中にした設備に限定して原状回復義務を認めただけでは、契約終了後の使用収益を容易ならしめるという本来の目的を達しえないことにあつたものと考えられるのである。しかしてかかる事情は貸主が一般民家を局舎向きに改築した場合と、当初から局舎として建築した場合とでかわりがないわけであり、また(証拠省略)によると、当初から局舎である建物の賃料額が、局舎特有の構造とするため過分に要した工事費を折込んだ建物価格により算出されるのと同様、一般民家を改造した場合にも、その資料額は改築費用を含む建物価格により算出されるのであるから、この点でも特に後者のみを優遇する理由を見出し得ない。そして前記の改訂が局舎貸主のほぼ全体の利益を代表する特定郵便局長の代表者と郵政省との協定により行われたことは、(証拠省略)により認められるところであるが、特定郵便局舎中には本件建物と同様当初から局舎として建築されたものが多数みられるのであるから、民家改築の場合だけを対象としてかかる条項を取り決めたとするなら、はなはだ不可解とせざるを得ないし、また当初から局舎であつた建物を除外したものと認めるべき証拠はない。なるほど本件原状回復条項中には、「賃借権が設定された時の用途」を基準として回復工事をなす旨の定めがあり、これによると民家改造の場合に限られ、当初から局舎であつた建物は含まれないかの如くであり、またかりに後者の建物を含ましめるとすれば、回復工事の基準が不明確となつて義務の内容を定めえなくなるのかの如くである。しかし民家改造の場合に限つて考えてみても、賃貸借が短期間内に終了した場合は格別、長期間の後に終了した場合には、その間に周囲の状況等がかわるであろうから、この条項の本来の目的である契約終了後の使用収益に資するという見地に立つと、賃借権設定時の用途が何程の意味を持つかはかなり疑問であり、時には無用の費用をかけることになりかねないから、結局民家改造の場合であつても長期賃貸の後は、契約終了時の当該建物の場所における最も一般的な用途を基準とせざるを得ないのである。そうであるなら当初から局舎であつた建物を除外する理由は乏しく、かかる建物であつても契約終了時の最も一般的な用途を基準に改築の義務を認めるのが相当である。なお原告は同人が以前に企図した洋品店舗に改造すべきだと主張するが、このような過去の主観的な使用目的を基準とすべき根拠はない。

しかして前記の原状回復条項によると補償金額算出の基礎となる工事の内容は、当時者間の協議により定めることとなつているので、一見その協議が調わないかぎり補償金支払の義務が発生しないかの如くであるが、しかし本件原状回復条項が裁判上無意味な内容を定めたものとは解されないから、結局その趣旨とするところは、前記認定の改築工事の基準に照らし工事内容を具体化するにあたつて、当事者の希望を入れていくためには当事者間の協議を待つこととし、協議不調の場合には前記の基準に照らして必要最低限の工事をすることとして補償金額を算出することにあると考えられ、かかる金額である以上協議で定められなくとも裁判上請求しうるものと考えるのが相当である。

ところで被告は賃借建物に対する貸主の投下資本が回収された場合には、本件原状回復条項の適用がないとし、原告の場合すでに受けた賃料により投下資本を回収しているので原状回復費用を請求しえないと主張するけれども、本件空家補償条項ではその適用の要件として、被告の一方的解約かあるいは更新拒絶を必要としているのに対し、本件原状回復条項では単に契約が終了した場合とだけ規定しているところからみると、原状回復条項は、空家補償条項のように、賃貸借が将来にわたつて継続することを予想していたのに予期に反して終了してしまつた場合における貸主の損失補償をねらいとするものでなく、単純に契約終了後の建物の使用収益に資する趣旨で定められたものと考えられるのであるが、貸主の投下資本が回収済であることは、右の空家補償の場合には無関係とはいえまいけれども、投下資本が回収済であつても建物が老朽化して使用収益に堪えなくならない限り、局舎特有の設備構造が契約終了後の使用収益を阻害することにかわりがないわけであつて、かかる建物について本件原状回復条項の適用を除外すべき理由はない。しかして昭和四〇年九月当時の本件建物の写真であることに争いのない(証拠省略)ならびに同年一二月当時の本件建物の写真であることに争いのない(証拠省略)をみても、本件建物が老朽化して使用に堪えなくなつたものとはとうてい認められず、むしろこれらの写真をみると将来もかなりの期間充分使用に堪えうるものと認められるのであるから、本件建物にも原状回復条項を適用するのが相当である。

三、原状回復費用の算定。

(証拠省略)によれば、本件建物の所在地は水戸、鳥山間のバスの通う補装道路に面し、村役場を中心とした商店街の中にあり近くには県立小瀬高等学校があつて、立地条件としては一般の小売商店向きであること。被告との賃貸借終了後原告は、建物の構造がよく似ている銀行あるいは信用金庫に貸そうとしたが、多額の預金獲得の見込がないことから借手がつかなかつたこと。しかし一般の小売店舗向きに改造すれば、本件建物を借受けて八百屋などに使用することを希望する者もあること。本件建物を一般小売店舗として使用する場合には、現在の事務室および公衆溜を売場としなければならないが、その場合の最少限の工事として、狭すぎる入口を拡張するため、建物前面の壁体のうち右の事務室公衆溜の前面にあたる部分を取毀して、この部分を全面的に引違い戸にする必要があり、また事務室と公衆溜の間のスクリーン、電話室および事務室の木造床を全て取払つて、事務室床下の土の部分にコンクリートを打ち、事務室内の壁面のうち床面より下の部分約九〇糎を修復するため、ラス下貫打平ラス張りモルタル塗刷毛引仕上げとする必要があること。以上の事実が認められ、前記の基準に照らすと、右の工事内容は本件原状回復条項に基づく被告の義務として必要最少限の段階にあるものと認められる。(証拠省略)によると、本件建物を一般小売店舗向きに改造するには、本件建物前面の壁体を全面的に取毀して、公道との間に三尺(〇、九〇米)巾で増築し、これによつて店舗部分を拡げ、また現在の集配溜区分室を台所とするにつき、その台所部分を拡げる必要があり、さらに商品陳列棚を設け、現在の応接兼宿直室(和室)に押入を設ける等の改造を行なう必要があるというが、これらは全て改良工事に属し、前記の基準による原状回復義務を超えるものといわねばならないから、算定の基礎として採用することはできない。

しかして(証拠省略)によると、右に認定した必要最少限の工事をなすための見積工事費は昭和四三年五月当時で金一九〇、八五〇円であり、昭和四一年三月三日(訴状送達日)当時はこれより二割三分程低廉であつたと認められるので、本件原状回復条項に基づく工事費用の補償額は訴状送達当時金一四六、九五四円であると認めるべきである。

四、空家補償について。

原告は本件建物が農村の僻地に所在するので賃借を希望するものがなく、契約終了後の建物転用のみちがないと主張するけれども、前記認定のとおり一般小売店舗として賃借を希望する者があることが認められるので、右の主張はその前提を欠き採用できない。また原告は改造をなさない限り他に転用のみちがないとして、空家補償を請求するのであるが、本件空家補償条項が、改造すれば他に転用しうる建物を、改造しないままみすみす耐用期限まで空家にしておくことを前提として、その間の補償をなすべきことを規定しているものとはとうてい認められないので、この主張も失当である。なお原告の主張するところではないが、本件建物を一般小売店舗向きに改造するには、ある程度の期間を要することが予想され、この期間中使用収益が不可能となることも明らかであるが、かかる事態は被告の解約権の行使あるいは更新拒絶により契約が終了した場合に限らず、契約が終了して建物を改造する以上必らず生じるわけであつて、原告にとつて不測の損害といえないのであるから、前記のとおり被告の一方的意思で契約が終了したことを要件として、原告の不測の損害を補償する趣旨で定められた本件空家補償条項では、その適用の対象とならないものと解せられる。

以上のとおり本件建物につき空家補償を求める原告の請求はいずれも失当である。

五、予備的請求原因について。

原告は予備的請求の原因として、被告国の公務員である東京郵政局監察係長が原告に対し、昭和三九年頃本件建物の増築と施設の拡大を指示しておきながら、賃貸借契約を解約した違法があると主張し、その損害の賠償として原告がそれより以前になした増改築の費用と、将来賃貸借が継続すれば得べかりし賃料を請求するのであるが、原告のいう違法行為と損害との間には因果関係がないから、右の主張は採用できず予備的請求は理由なきに帰する。

六、結論

よつて原告の本訴請求は前記原状回復費用金一四六、九五四円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四一年三月三日以降支払ずみまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は認容すべきであるが、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。なお原告より申立のある仮執行の宣言はこれを附さないこととする。

(裁判官 室伏壮一郎 牧山市治 浅生重機)

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